おひさしぶりです。塾生1号兼事務局長の大ちゃんです。
しばらくBlogを更新できず大変申し訳ありませんでした。
今後は週1回、塾生Blogの更新を基本として塾での活動を不定期に更新する形をとっていきたいと思います。今後ともよろしくお願いいたします。
今回の熟成Blogは私の人生の中でとても楽しく充実し、そして後悔や不甲斐なさを感じた20年前の出会い(スポーツ)をご紹介しようと思います。
【長文になります。だらだら書いてしまう事をご了承ください。】
それは”フットサル”です。私を知っている方はラグビーとか柔道とかをやっていたんでしょ。と言われる方が多いのですが、学生時代からサッカーを一生懸命やっていました。
それこそ学習塾をサボり、暗い中でも自主練習をやるぐらいのサッカー小僧でした。
就職後は大半の方と同じようにサッカーは趣味程度、仕事に没頭していくという流れだったのですが、たまたまの縁(俗にいうコンパというものです;汗;)でフットサルチームをご紹介頂きました。
そのチームが活動している拠点(コート)が非常に不思議だったんです。
それは、ある区営公園の1つしかないコートで朝から晩までやるのですが、予約がないんです。
フットサルコートは必ず何時から何時までと予約をしてお金を払って行うのが常識です。ですがそのコートには予約もない、お金もかからないのです。
そのため、その場所の人たちだけが知る暗黙のルールがあります。それは3点の勝ち残りです。
3点とったら試合が終了、勝ったチームが残り、次のチームと試合をします。それを夜まで繰り返すんです。実はストリートサッカーだったんです。
しかも我々のチームはそのコートでメンバーを編成しているので私のようなカッチリ?サラリーマン以外にもライター、調理師、フリーター、大学生、高校生、無職等の様々な人間が所属しており、
それこそ選抜選手といっても県や市、区のレベルで素人もたくさんいました。
そんなある時にメンバーの1人が腕試しに大きな大会に出てみようじゃないかという事で全日本選手権にチャレンジする事となりました。
20年前のフットサルというのはマイナーな部類に入るスポーツで、サッカーのミニコート版と言われる状況で、唯一日本一を決める大会も全日本選手権のみでした。
しかもその時代は東京都予選がほぼ日本一を決めるぐらいに強豪揃いと言われていました。
我々は腕試し程度だったので1次予選突破(1次(地域)予選、2次予選、決勝トーナメント←ここまでで8試合)できれば祝杯だぁという気楽な感じで参加していました。
しかも監督は女性(未経験者)、コーチは私(フットサル経験は半年程度)で本当に今考えると舐めてました。
しかし、試合が始まるとなぜか勝ち進む。カウンターが面白いように決まって点がとれる。
1次予選の決勝では前年地域優勝したチームに完勝し、続く2次予選も勢いそのままに勝ち進んでしまい、決勝トーナメントに進んでしまいました。
とうとうベスト8の決勝トーナメントまで勝ち上がり、相手は前年度東京都ベスト4、他のベスト8チームも前年度日本一や東京都優勝他、Jリーグ・JFL出身や高校・大学名門校出身というものすごい中、
唯一シードもない素人集団が、場所も駒沢体育館で観客入っている中、戦うこととなりました。
無名のチームですから観客からは苦笑い。相手もJリーグを引退された人もいて非常に強いと評判で勝負があったような余裕な顔をしていたのを覚えています。
まるでスラムダンクでいう山王工業戦と戦う湘南のような状況でした。
体格やうまさは違えども、差はつけられても最後の最後まで戦い、残り5分以降はこちらが攻め続ける状況、残り2分に3-3に追いつき、残り15秒までは引き分けていました。
結果は1点とられてしまい4-3でベスト8で終わってしまいました。
この大会の結果、素人ワンダーチームとしてちょっとだけフットサル会では有名になりました。
練習試合にも困ることもなく、招待をされたり、メンバーも増えたりとしている中でチームを更に大きくするため、
ストリートサッカーをやめて、場所を借りて週2回の練習、土日試合という強化をすることとなりました。
そこが私の分岐点(不甲斐なさや後悔の始まり)であったように思っています。
このタイミングで私は代表兼監督兼選手となったのですが、そこで組織を引っ張る力とまとめる力が必要となりました。
これまでは職種もバラバラ、経験もバラバラ、考え(目標)もバラバラであったメンバーが全日本選手権という1つの目標の中で進んでいった結果、とてもいい成績が残せた。
でもこれからはチームを拡大し、強化し、組織化していかなくてはいけない。
楽しくしたい。真剣に勝負したい。レベルをあげたい。
その考えは個々で違うけれど、みんなが同じような気持ちになって強くなりたい。そんな事を考えていました。
結果、それぞれの考えが確執を生み、摩擦がおこり、チーム自体がバラバラになってしまいました。
私はそれを潤滑油となればいい。その頃はそう思っていました。
今、考えるとその考えが甘かったように思います。
私がやるべき事はまずはチームの1年、3年、5年、10年先の目標とビジョン(あるべく姿)を明確にすること、そこまでできなくても1年、3年だけでも考えていえれば全く違う将来が待っていたのではないかと思います。
今回のBlogでお伝えしたかった事。
人生の分岐点というのはとても多くあると思います。
その分岐点で正しく、後悔なく進むためにはビジョンや目標が重要です。
間違った時に立ち戻る事ができるのもビジョンや目標があるからだと思います。
分岐点と感じることは後からわかる事が多いですが、私の人生の中で結果良かったと思うことは目標を持った時にしか得られていません。
フットサルでは結果、後悔が残ってしまいました。つい先日までの成功していたことも目標やビジョンを考えずに進めると途端に破たんします。
これからの人生を後悔しないためにも自分の目標を早くに決めて、人と多く出会い、術を得る事が必要なのではないかと思います。
私はそのために偕髙塾に行っているんだと思います。
長々とお読み頂きありがとうございました。
ーーーーーー偕髙塾よりお知らせーーーーーーーー
今後のスケジュール
●10月26日土曜日 10月度月例会
14:30~16:30 第1部 飯田橋事務所
17:00~19:00 第2部 飯田橋周辺 会費4,000円
●11月23日土曜日 偕髙塾1周年祭
12:00~17:00 飯田橋or秋葉原周辺 会費5,000円
●12月21日土曜日 12月度月例会
14:30~16:30 第1部 飯田橋事務所
17:00~19:00 第2部 飯田橋周辺 会費4,000円